四ツ小屋の由来
まだ地名もなかった頃「アシ」が一面に生え、屋根材として利用され始めた。その「アシ」を守るため4戸(伊藤勘左衛門、伊藤助左衛門、榎左五右衛門、榎藤右衛門)が移住し番人用の小屋を建てたことから「四ツ小屋」になったと伝えられています。
四ツ小屋御野場は、一面アシが生え、ウズラが住む荒地でしたが、秋田藩主が時々鷹狩りにきていたことから、「御野場」という名がつきました。
四ツ小屋を開墾、開拓した人物として、川村新吉翁、高橋武左衛門翁などがいます。
よつごやマップ
四ツ小屋駅の東西に設置されています
四ツ小屋地域の見どころ
保量神社
川村新吉が、末戸松本地区の開墾達成を気に神社を建立し、開墾した折、青石が出土し、その下から田に水を引くための泉が湧出したところからこの石をご神体として祀ったといわれています。

川村新吉
享保5~安永4年(1720~1775年)久保田川端五丁目(秋田市)に生まれ、松本新田(四ツ小屋)の開墾を志し、和田・黒沼地内の岩見川から水を引き入れ、30町歩を開田しました。当時の水田(みずた)に対して乾田法を用い、さらに地続きの小阿地、川添、豊島の一部50町歩を開墾しました。

ヤブレ沼
ペリーの黒船が浦賀に来航した翌年の安政元年(1854年)雄物川・岩見川の大洪水の時、武左衛門堰の築土手の決壊によりヤブレ沼は生まれました。今ではヘラブナ釣りのメッカとして全国的に知られています。

神明社
四ツ小屋開発の時の守護神として、元和2年(1616年)に伊勢神宮内宮より勧請したものと伝えられています。現在の社殿は昭和2年雄物川改修のため鷹塚付近から移建したもので、御野場開拓の功労者高橋武左衛門翁を合祀しています。

高橋武左衛門
元文5~文政12年(1740~1819年)平鹿郡境町村(横手市)に生まれ、24歳で肝煎りになり、町民救済や各地の荒れ地開拓に努めました。41歳の時、四ツ小屋一体の広大な原野を眺望して開墾を思い立ち、享和元~文化11年(1801~1814年)、全私財を費やして400町歩の荒地を美田に変えました。藩主佐竹義和は功を称え、「先農之神」として神明社境内に祀られています。
